こんな方は読んでほしい
- ブログ管理人のイトウってどんな人?
- どんな人なのか興味をもってみた
- とりあえずみてみようか
まずはじめに、
当プロフィール記事に訪問して頂きありがとうございます。
そして、
私のことについてこの様に思ってくれた方は是非読み進めていってください。
ということで・・・
初めまして。
サッカー談議運営・管理人であるイトウといいます。
私のことに興味をもって頂き本当に本当にありがとうございます。
感謝しかありません。
本文にいく前にまずはどんな内容なのかご紹介していきます。
プロフィール内容
- イトウの基本情報
- イトウの選手歴について
- イトウの指導歴
- なぜ指導者としての道へ進んだのか
- 指導者としてどんなことを伝えていきたいのか
- 指導者としての目標は?
これが本文での内容となっています。
良かったら最後まで読んでみて下さい。
イトウの基本データ

イトウ情報
- ニックネーム:イトウ
- 生年月日:1986年8月20日(35歳)
- 既婚者:嫁/息子/猫
- 大阪生まれ山口育ち広島在住
これが私の基本データとなっています。
私は10月28日からスタンドFMを使って配信もしています。
私の自己紹介もスタンドFMで音声を使って配信しているので良かったら覗いてみてください。
イトウは本名です。
良く子供たちにはイトウコーチを略して
- 糸巻きコーチ
- イトコンニャク
- イトコン
など色々なニックネームをつけてもらいました。
サッカー一筋の私が指導者を14年やってきた中で結婚ができ猫を飼い子供まで授かることができました。

プライベートでは充実した時を過ごせています。
しかし指導面ではコロナウイルス感染拡大の影響により指導ができない時もあり中々うまい具合に活動が出来ていません。
今は耐え忍ぶ時なのかコロナ終焉の時がくるまで地道に活動していくしかないと感じています。
イトウの選手歴について

イトウのサッカー歴
- 幼少期:体操教室で身体を動かす
- 小学3年生で地元のスポーツ少年団に入団
- 中学校では部活を頑張った
- 高校は全国大会常連の高校へ進学
- 広島県社会人リーグ1部で奮闘
これが今までの私の選手歴となります。
幼少期は体操教室で身体作り
私立の幼稚園に入り年長さんの時に体操教室に入っていた記憶があります。
小学生時代はスポーツ少年団で過ごす
小学生時代では3年生の時にスポーツ少年団へ。
田舎の学校だったので人数が少なく誰もやりたがらないゴールキーパーを6年生までやっていました。
ゴールキーパーはとめた時の快感や歓声がとても心地よく好きでした。
小学6年生の時にはフォワードやゴールキーパーやったり色々なポジションをやっていた記憶があります。
スポーツ少年団だったので練習日が少なく週に一回は地元で開催していたサッカースクールに通っていました。
中学生時代では中体連でサッカーを過ごす
中学時代ではディフェンダーやゴールキーパーをやっていましたね。
一つ記憶にあるのがスサッカークールの企画で夏休みを使ってブラジルサッカー留学にいくという企画で私は中二の夏休みを使って一カ月間ブラジルへ行ってきました。

今思うとあの一カ月間は本当に最高で中々できない体験をさせてもらったと親やコーチたちには感謝しています。
そして私は中学2年生の時なぜかあるサッカーの試合をテレビで観戦していました。
それは全国高校サッカー選手権です。
決勝で国見高校対草津東の決勝戦を見ていたのだ。
私は当時そこまでサッカー観戦に興味がなかったのになぜかこの決勝戦だけは最初から最後まで見ていたのです。
当時は大久保嘉人率いる国見高校が3対0で草津東に勝ち優勝した。
のちにこの試合がきっかけで私は全国高校サッカー常連のチームへ入学した。
高校3年間はサッカーに明け暮れた
高校3年間は家から遠いいことが理由で体育寮で過ごすことになりました。
初日からホームシックになり夜は泣いた記憶があります(笑)
それでも色んなスポーツの選手達が下宿する僚だったので厳しい規則があり約束事も多く毎日必死でした。
ただ一つ私は田舎から出てきたのでろくな指導も受けてこなかったためランクは一番下でした。
どれくらい下手くそかというとまずリフティングが10回も出来ないような選手で試合もほぼ無かったため一番ダメなレベルからスタートになりました。

なので先輩方や監督からは名前すら覚えてもらえず毎日毎日居残りや自主練をする1年間となりました。
こうして色々な試練を乗り越えていくうちに2年目以降は遠征メンバーに入ったり中国大会メンバーや最後は念願だった選手権メンバーまで入ることが出来たのです。
国立を歩くことはできたが残念ながら試合に出場することはできませんでした。
それでも3年間サッカーと向き合うことが出来本当に良かったと思います。
私は高校3年間体育寮で自分を鍛えたことが今ではすごく良かったと思っています。
これから体育寮やサッカー寮に入る方やまたは入りたい方は下記記事を読んでみて下さい。
スポーツ専門学校へ入学し社会人リーグ1部で奮闘した
そしてスポーツ専門学校へ行き指導者として学びプレイヤーとしては社会人1部リーグに参戦することで天皇杯予選や社会人カップなどまた違った雰囲気でサッカーをすることができました。
そして専門学校卒業後指導者としての道へ進んだのです。
イトウの指導歴

- あるクラブチームに約1年間在籍
- 個人が運営するスポーツクラブに7年間所属
- 法人のスポーツクラブに在籍7年目
この様になります。
以上が私の指導歴となります。
個人が運営するスポーツクラブでは0人から会員を増やすという大きなプロジェクトに関わらせてもらい沢山の苦い経験から嬉しい経験をすることができました。
今では当時の経験が生きており自分の土台となっています。
なぜ指導者の道へ進んだのか

私が指導者の道へ進んだ理由はコチラです。
- 私自身高校の時に後悔したから経験から
- 子供が好きでサッカーを通して学んで欲しいから
- サッカーの指導者として有名になりたいから
この様な理由から私はサッカーの指導者の道へ進みました。
私自身小・中学生の時にもっと良い指導者に巡り合えていたら良かったのになぁという思いが一番強いかもしれませんね。
だからこそ、選手達にはより高いものを要求します。
指導者として何を伝えたい?

私が指導者として子供たちに伝えたい事はコチラです。
- 自立した人間へ
- 自主性をもった人間へ
- サッカーが上手くなってプロの選手へ
- コミュニケーション能力の向上
- サッカーを通して思いやりのある人間へ
このようなことを子供たちにはサッカーを通して伝えたいと考えています。
この様なことを伝えたいと思った理由は私は高校1年生の時に下手くそだった私に高校3年生の先輩が優しくフォローしたり声をかけてくれたり何かと気にかけてくれたことがきっかけとなります。
その先輩は高校卒業後ベガルタ仙台へ行きました。
プロになる選手と間近で関わることが出来更にどんな選手がプロになるのか私は身をもって感じたことが一番ですね。
だからこそ子供たちには上手くなることと同時に人間力についても学んで欲しいと考えています。
指導者としての目標は?

私が考える指導者としての目標は
- サッカー協会公認の資格を上げること
- 法人でやってきた経験から個人でチームを立ち上げること
- チーム専用のグランド作ること
- 広島県で強豪になれるチーム作りをすること
- 指導者として知名度を上げること
上記の様なことが私の目標となります。
現在日本サッカー協会C級ライセンスを保持していますがこれをB級にそしてA級にしてきたいと思います。
他にも指導者としてクラブ運営者として必要な資格も同時にとりに行きたいと思っています。
これまでのチームやスクール経験から個人でチームの運営やマネジメントもしていきたいと思います。
更にコロナウイルスの影響で活動が休止する今では専用グランドを持つことも有りだと考えています。
広島県では強豪だと思われるようなチーム作りもしていくことが今後の夢でもありますね。
そして最後の目標として自分という知名度を上げることが最終目標ですね。
さいごに

以上がイトウの指導歴や先週歴について紹介してきました。
まだまだ35歳です。
人生一度きりですから後悔の無い、
やり切った人生だったと思えるように日々充実した時間を過ごしたいと思います!
最後まで読んで頂きありがとうございました。