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【サッカー日本代表】歴代監督一覧!名将から若手指導者までの歴代監督の軌跡
2024.3.7.木
2026年にワールドカップアメリカ大会が開催されます。
日本代表はこの度、開催されたアジアカップを不本意な形で敗退したなかでワールドカップ予選を戦います。
そんな日本代表ですが今回は日本代表を率いた歴代の監督たちの軌跡について触れていきます。
日本代表を今後も応援するなかで、これまでどんな監督たちが日本代表を指揮してきたのかご紹介していきます。
はじめに
日本代表は日本国民の宝物です。
負けたらみんなで悔しがり、勝てばみんなで祝い合う
そんな日本代表になるようにサカダンでも日本代表を取り上げていきたいと思います。
今回はそんな日本代表を統括する監督たちについて色々振り返っていきます。
日本代表を指揮してきた監督たちをご紹介!
- ハンス・オフト(1992年〜1993年)
- パウロ・ロベルト・ファルカン(1994年)
- 加茂周(1994年〜1997年)
- 岡田武史(1997年〜1998年)
- フィリップ・トルシエ(1998年〜2002年)
- ジーコ(2002年〜2006年)
- イビチャ・オシム(2006年〜2007年)
- 岡田武史(2007年〜2010年)
- アルベルト・ザッケローニ(2010年〜2014年)
- ハビエル・アギーレ(2014年〜2015年)
- ヴァイッド・ハリルホジッチ(2015年〜2018年)
- 西野朗(2018年)
- 森保一(2018年〜現在に至る)
ハンス・オフト(1992年-1993年)
- オランダ出身
- 1992年アジアカップ優勝
- 外国人初めて監督
「オフトジャパン」として日本を牽引してきた監督。
アジアカップ初優勝など実績を上げてきた名将でもある。
初めてのワールドカップを目指す日本代表はイラク代表に同点ゴールを許し、
土壇場での予選突破できなかったことから「ドーハの悲劇」として今でも取り上げられている。
その時の監督がオフト監督になる。
パウロ・ロベルト・ファルカン(1994年-1994年)
- ブラジル出身
- 攻撃的なサッカースタイルを導入
ファルカン監督は約1年間で交代をしている。
背景には「細かな戦術があったオフト監督に比べ自主性に任せた戦術が日本人に合わない」ことや
キリンカップやアジアカップなどで結果を出すことかができないことから退任している。
加茂周(1994年-1997年)
- 1997年ワールドカップフランス大会出場
ファルカン監督の後任として加茂さんが就任しワールドカップ予選を戦うことになる。
予選のなかで色々な問題が起きながらもギリギリな試合が続いていた。
そんな矢先に予選途中で解任をされた。
岡田武史(1997年-1998年)
- 1998年ワールドカップ初勝利
ワールドカップ本線に向けて苦しい展開の中、
加茂さんの更迭…
急遽決まった岡田監督の就任。
当時、加茂監督の右腕だった岡田さんに就任の依頼がありそのまま監督就任となった。
今でも覚えているが、ワールドカップ本線を掴んだ「ジョホールバルの歓喜」。
イラン代表と戦い最後は岡野選手が延長決勝ゴールを決めて本大会行きの切符を掴みましたね。
あのドラマには色々な物語がありました。
そして本線では初勝利も上げなんとか形になった大会になりました。
フィリップ・トルシエ(1998年-2002年)
- フランス出身
- 2002年ワールドカップベスト16
フランス出身のトルシエさんに日本代表の監督として4年間強化期間となりました。
2002年のワールドカップは開催地が日本と韓国ということで必然的にワールドカップに出場できました。
この大会では初めての予選突破が叶い決勝トーナメントに進むことができました。
トーナメント一回戦ではトルコ代表と戦い0対1で敗戦しワールドカップが閉幕しました。
ジーコ(2002年-2006年)
- ブラジル出身
- 攻撃的なサッカースタイルを導入
これまではJリーグの選手が多くJリーグの中から日本代表を排出してきましたが、
この頃からは多くの選手が海外へ行き自信の強化に専念するようになりました。
そんな中トルシエ監督の後任としてブラジル代表でも大きなキャリアを収めた
ジーコ氏が日本代表の監督として就任しました。
この頃に招集した選手には中村選手・中田選手・小野選手・稲本選手らが集まり
「黄金のカルテット」として注目を集めました。
ドイツで開催されたワールドカップでは2敗1分でおわり予選突破できずに幕を閉じました。
イビチャ・オシム(2006年-2007年)
- ボスニア・ヘルツェゴビナ出身
- 短期ながらチームに大きな影響を与えた
ドイツ大会後、ジェフユナイテッド市原・千葉(現)の指揮を取っていたイビチャ・オシム氏が
日本代表の指揮をとることになった。
オシム監督は「オシム語録」が有名で取材陣や関係者に冗談のような本当のような色々な言葉を残していった。
オシム監督の考え方はとても面白く、日本国民に期待をさせる雰囲気があった。
選手選考も面白く、色々な選手を呼んでは使っていた。
色々な期待が膨らむ中、病(やまい)により監督続行が不可能になり約一年間で幕を閉じた。
岡田武史(2007年-2010年)
- オシム監督の代役抜擢
- 2010年ワールドカップベスト16
日本人で初めてのワールドカップを経験している岡田史に突如監督就任の依頼が届く。
ワールドカップ予選では不本意ながら良い結果を出せず、
なんとかワールドカップ本線を掴むことに成功した。
誰もが危機感を募るなか、
2勝1敗で予選リーグを突破し決勝トーナメントではパラグアイにPKで敗戦した。
世間では絶対に駄目だろうと言われてきたなかで、
見事に結果をだした岡田ジャパンは感動を日本国民にプレゼントすることができた。
アルベルト・ザッケローニ(2010年-2014年)
- イタリア出身
- アジアカップ優勝
- 東アジアカップ優勝
- コンフェデレーションズカップ惨敗
- 2014年ワールドカップ予選敗退
この四年間はセリエAなどで成績を上げてきた名将となるザッケローニ監督に日本を託すことになる。
ザックジャパンでは「4−5−1」を基本にザッケロー二監督の得意な形「3−4−3」にも
シフトチェンジするなど守から攻へと攻撃的な采配もできる。
2011年のアジアカップではアクシデントもありながら、
采配した選手が全て機能してみんなで掴んだアジアカップ優勝という実績を上げている。
他にも2013年では東アジアカップでも優勝するなど監督のしての手腕をもっている。
また、ザッケローニ監督は日本が大好きでリスペクトしながら
サッカー界に貢献されたことで日本に愛される監督にもなっている。
最終的なミッションでもあるワールドカップブラジル大会では2敗1分という形で
日本の旅が終わった。
ハビエル・アギーレ(2014年-2015年)
- メキシコ出身
- 短期就任で成績を残せず
ブラジル大会後、メキシコ出身であるアギーレ監督を招集へ。
ワールドカップ後2015年に開催されたアジアカップまで指揮をとるものの、
八百長疑惑など問題が発覚したことから解任された。
ヴァイッド・ハリルホジッチ(2015年-2018年)
- ボスニア・ヘルツェゴビナ出身
- ワールドカップ本線を決める
アギーレ監督の後任として「デュエル」を選手に求めた厳しさを追求する監督が就任しました。
監督と選手たちのコミュニケーションが上手く取れないことから
選手たちからは問題視されてきたがワールドカップロシア大会の切符は掴むことができた。
しかし、本線前にまさかの解任へ…
西野朗(2018年)
- ロシアワールドカップ出場監督
- ワールドカップ予選突破
- ワールドカップベスト16
後任後、すぐにロシア大会が迫るなか急遽就任した西野監督。
ベテランと若手が融合することでより強くなることを信じてこのロシア大会では見事采配が的中した。
結果予選は1勝1敗1分で予選突破を決めした。
そして迎えた決勝トーナメントではベルギーにまさかの大逆転負けをしてしまうのでした。
この大会に至るまでに多くの問題を作りながらも最終的に結果を出せたことに感謝しています。
森保一(2018年-現在)
- 現監督
- 2022年ワールドカップ予選突破
- 2022年ワールドカップベスト16
- アジアカップベスト8
- 日本人初の続投監督
森保監督といえば選手についてメモ帳を使って記録することで有名な監督です。
クラブチーム監督時代ではサンフレッチェ広島の3連覇に大きく貢献した監督でもあります。
2022年ワールドカップでは国民から批判されてきたが、
強豪国(ドイツ・スペイン)相手に勝利し予選突破をしたことから日本人初の続投監督となりました。
今回、開催されたアジアカップでは残念な結果で終わりましたが、
次なるワールドカップに向けて予選を戦います。
さいごに
日本代表の歴代監督には、それぞれ異なるスタイルや戦術で日本代表を率いてきました。
各世代には中心選手になる選手も必ずいました。
監督の考え方や戦術にマッチする選手を起用しながら日本を牽引してきました。
それぞれの監督がどのような影響を与えたのか、経歴と戦績を参考にぜひ考察してみてください。